『大學』とは、中国古典の書名で、『四書』とは、その『大學』を含め『中庸』、『論語』、『孟子』という4種類の書物のことを呼びます。
詳しくは,フリー百科事典ウィキペディアの「四書」の項目を参照してください。なお、その解説の一部を以下に引用しておきます。
大学
伝説上、孔子の弟子曾参(紀元前505年—紀元前434年)の作とされた。唐代韓愈・李翱らの道統論によって持ち上げられ、北宋の二程は「大学は孔氏の遺書にして初学入徳の門」と称した。二程の思想を継承する南宋の朱熹は『大学』を『礼記』から取り出して、『論語』『孟子』に同列に扱って四書の一つとし、二程の意を汲んで、四書の最初に置いて儒学入門の書とした。儒家にとって必要な自己修養がいわゆる三綱領八条目の形で説かれているという。
四書
四書とは、儒教の経書のうち『大学』『中庸』『論語』『孟子』の4つの書物を総称したもの。四子(しし)・四子書(しししょ)とも言われる。
南宋の儒学者朱熹が『礼記』中の「大学」「中庸」2篇を単独の書物として『論語』『孟子』と合わせ、儒教創始期の4人の代表人物、曾参・子思・孔子・孟子(略して孔曾思孟)に関連づけて『四子』または『四子書』と呼んだ。その略称が『四書』である。朱熹は四書を五経に学ぶ前の入門の書物としている。『礼記』のうち曾参の作とされた「大学」と子思の作とされた「中庸」を特に取り上げる立場は宋代以前でも韓愈など道統を重視する学者に見られ、北宋でも程頤・程顥(二程子)ら道学者が特にこれらを重視した。これを受けた朱熹は四書に対する先人の注釈を集めた『四書集注』を編んだ。
本Webページでは、国立国会図書館 近代デジタルライブラリーに収蔵されている『ポケット大学中庸註釈』(浜野知三郎著 東京:至誠堂,明43.3)を底本としました。
本Webページの原本画像は、『四書集註 袖珍』(東京:富田文陽堂,明43.3)の画像を再構成したものです。この画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
本Webページでは、原文と訓読のみを掲載することとして、「三綱領八条目」やその他の字義については解説していません。詳しい解説については、多くの書籍が市販(参考までに二三種類の本を紹介しておきます。)されていますので、そちらの方をお読みください。
大學之書。古之大學。所以教人之法也。
蓋自天降生民。則旣莫不與之以仁義禮智之性矣。然其氣質之稟。或不能齊。是以不能皆有以知其性之所有而全之也。一有聰明睿智。能盡其性者。出於其間則天必命之。以爲億兆之君師。使之治而教之以復其性。
此伏羲・神農・黄帝・堯・舜所以繼天立極。而司徒之職。典樂之官所由設也。
三代之隆。其法寖備。然後王宮。國都。以及閭巷莫不有學。人生八歳。則自王公以下。至於庶人之子弟。皆入小學。而教之以灑掃應對進退之節。禮樂射御書數之文。
及其十有五年。則自天子之元子衆子。以至公卿大夫元士之適子。與凡民之俊秀。皆入大學。而教之以窮理正心脩己治人之道。此又學校之教。大小之節所以分也。
夫以學校之設。其廣如此。教之之術。其次第節目之詳又如此。而其所以爲教。則又皆本之人君躬行心得之餘。不待求之民生日用彝倫之外。是以當世之人。無不學。其學焉者。無不有以知其性分之所固有。職分之所當為。而各俛焉以盡其力。此古昔盛時。所以治隆於上。俗美於下。而非後世之所能及也。
及周之衰。賢聖之君不作。學校之政不脩。教化陵夷。風俗頽敗。時則有若孔子之聖。而不得君師之位。以行其政教。於是獨取先王之法。誦而傳之。以詔後世。若曲禮・少儀・内則・弟子職諸篇。固小學之支流餘裔。而此篇者則因小學之成功。以著大學之明法。外有以極其規模之大。而内有以盡其節目之詳者也。
三千之徒。蓋莫不聞其説。而曾氏之傳。獨得其宗。於是作爲傳義以發其意。及孟子沒。而其傳泯焉。則其書雖存。而知者鮮矣。
自是以來俗儒記誦詞章之習。其功倍於小學而無用。異端虚無寂滅之教。其高過於大學而無實。其他權謀術數。一切以就功名之説。與夫百家衆技之流。所以惑世誣民充塞仁義者。又紛然雜出乎其間。使其君子不幸而不得聞大道之要。其小人不幸而不得蒙至治之澤。晦盲否塞。反覆沈痼。以及五季之衰。而壞亂極矣。
天運循環無往不復。宋德隆盛。治教休明。於是河南程氏兩夫子出。而有以接乎孟氏之傳。實始尊信此篇。而表章之。旣又爲之次其簡編。發其歸趣。然後古者大學教人之法。聖經賢傳之指。粲然復明於世。雖以熹之不敏。亦幸私淑。而與有聞焉。
顧其爲書。猶頗放失。是以忘其固陋。⾤而輯之。間亦竊附己意。補其闕略。以俟後之君子。極知僭踰無所逃罪。然於國家化民成俗之意。學者脩己治人之方則未必無小補云。
淳熈己酉二月甲子。新安朱熹序。
大学(だいがく)の書(しょ)は、古(いにしえ)の大学(だいがく)、人(ひと)を教(おし)うる所以(ゆえん)の法(ほう)なり。
蓋(けだ)し天(てん)の生民(せいみん)を降(くだ)してより、則(すなわ)ち既(すで)に之(これ)に与(あた)うるに仁義礼智(じんぎれいち)の性(せい)を以(もつ)てせざること莫(な)し。然(しか)れども其(そ)の気質(きしつ)の稟(ひん)、或(あるい)は斉(ひと)しきこと能(あた)わず。是(ここ)を以(もつ)て皆(みな)以(もつ)て其(そ)の性(せい)の有(あ)る所(ところ)を知(し)りて之(これ)を全(まつた)くすること有(あ)る能(あた)わず。一(いつ)も聡明叡智(そうめいえいち)にして能(よ)く其(そ)の性(せい)を尽(つ)くす者(もの)有(あ)りて、其(そ)の間(かん)より出(い)づるときは則(すなわ)ち天(てん)必(かなら)ず之(これ)に命(めい)じて、以(もつ)て億兆(おくちょう)の君師(くんし)と為(な)し、之(これ)をして治(おさ)めて之(これ)を教(おし)えて以(もつ)て其(そ)の性(せい)に復(かえ)らしむ。
此(こ)れ伏羲(ふつき)・神農(しんのう)・黄帝(こうてい)・堯(ぎょう)・舜(しゅん)の天(てん)に継(つ)ぎ極(きょく)を立(た)つる所以(ゆえん)にして、司徒(しと)の職(しょく)、典楽(てんがく)の官(かん)の由(よ)りて設(もう)くる所(ところ)なり。
三代(さんだい)の隆(さかん)なる、其(そ)の法(ほう)寖(ようや)く備(そな)わる。然(しか)る後(のち)王宮(おうきゅう)、国都(こくと)より、以(もつ)て閭巷(りょこう)に及(およ)ぶまで学(がく)有(あ)らざること莫(な)し。人(ひと)生(う)まれて八歳(はつさい)なれば、則(すなわ)ち王公(おうこう)より以下(いか)、庶人(しょじん)の子弟(してい)に至(いた)るまで、皆(みな)小学(しょうがく)に入(い)る。而(しこう)して之(これ)に教(おし)うるに灑掃(さいそう)、応対(おうたい)、進退(しんたい)の節(せつ)、礼(れい)、楽(がく)、射(しゃ)、御(ぎょ)、書(しょ)、数(すう)の文(ぶん)を以(もつ)てす。
其(そ)の十有五年(じゅうゆうごねん)なるに及(およ)べば、則(すなわ)ち天子(てんし)の元子衆子(げんししゅうし)より、以(もつ)て公(こう)、卿(けい)、大夫(たいふ)、元士(げんし)の適子(てきし)と、凡民(ぼんみん)の俊秀(しゅんしゅう)に至(いた)るまで、皆(みな)大学(だいがく)に入(い)る。而(しこう)して之(これ)に教(おし)うるに理(り)を窮(きわ)め、心(こころ)を正(ただ)しくし、己(おのれ)を修(おさ)め、人(ひと)を治(おさ)むるの道(みち)を以(もつ)てす。此(こ)れ又(また)学校(がっこう)の教(おし)え、大小(だいしょう)の節(せつ)の分(わ)かるる所以(ゆえん)なり。
夫(そ)れ学校(がっこう)の設(もう)け、其(そ)の広(ひろ)きこと此(かく)の如(ごと)く、之(これ)を教(おし)うるの術(じゅつ)、其(そ)の次第節目(しだいせつもく)の詳(つまび)らかなること又(また)此(かく)の如(ごと)きを以(もつ)てして、其(そ)の教(おし)えを為(な)す所以(ゆえん)は、則(すなわ)ち又(また)皆(みな)之(これ)を人君(じんくん)の躬行心得(きゅうこうしんとく)の余(よ)に本(もと)づき、之(これ)を民生(みんせい)の日用彝倫(にちよういりん)の外(ほか)に求(もと)むるを待(ま)たず。是(ここ)を以(もつ)て当世(とうせい)の人(ひと)、学(まな)ばざるもの無(な)し。其(そ)の学(まな)ぶ者(もの)は、以(もつ)て其(そ)の性分(せいぶん)の固(もと)より有(ゆう)する所(ところ)、職分(しゅくぶん)の当(まさ)に為(な)す所(ところ)を知(し)りて、各(おの)おの俛焉(べんえん)として以(もつ)て其(そ)の力(ちから)を尽(つ)くすこと有(あ)らざる無(な)し。此(こ)れ古昔(こせき)の盛(さか)んなりし時(とき)、治(ち)は上(うえ)に隆(さか)んに、俗(ぞく)は下(しも)に美(うつ)しく、後世(こうせい)の能(よ)く及(およ)ぶ所(ところ)に非(あら)ざる所以(ゆえん)なり。
周(しゅう)の衰(おと)うるに及(およ)び、賢聖(けんせい)の君(きみ)作(おご)らず。学校(がっこう)の政(せい)修(おさ)まらず、教化(きょうか)は陵夷(りょうい)し、風俗(ふうぞく)は頽敗(たいはい)す。時(とき)に則(すなわ)ち孔子(こうし)の聖(せい)の若(ごと)き有(あ)れども、而(しか)も君師(くんし)の位(くらい)を得(え)て、以(もつ)て其(そ)の政教(せいきょう)を行(おこな)わず。是(ここ)に於(お)いて独(ひと)り先王(せんおう)の法(ほう)を取(と)り、誦(しょう)して之(これ)を伝(つた)え、以(もつ)て後世(こうせい)に詔(つ)ぐ。曲礼(きょくらい)・少儀(しょうぎ)・内則(だいそく)・弟子職(ていししょく)の諸篇(しょへん)の若(ごと)き、固(もと)より小学(しょうがく)の支流余裔(しりゅうよえい)にして、而(しこ)うして此(こ)の篇(へん)は則(すなわ)ち小学(しょうがく)の成功(せいこう)に因(よ)りて、以(もつ)て大学(だいがく)の明法(めいほう)を著(あらわ)し、外(そと)は以(もつ)て其(そ)の規模(きぼ)の大(だい)を極(きわ)むること有(あ)りて、内(うち)は以(もつ)て其(そ)の節目(せつもく)の詳(しょう)を尽(つ)くすこと有(あ)る者(もの)なり。
三千(さんぜん)の徒(と)、蓋(けだ)し其(そ)の説(せつ)を聞(き)かざる莫(な)し。而(しこ)うして曽氏(そうし)の伝(でん)、独(ひと)り其(そ)の宗(そう)を得(え)たり。是(ここ)に於(お)いて伝義(でんぎ)を作為(さくい)して、以(もつ)て其(そ)の意(い)を発(はつ)せしも、孟子(もうし)没(ぼつ)するに及(およ)びて、其(そ)の伝(でん)泯(ほろ)ぶ。則(すなわ)ち其(そ)の書(しょ)存(そん)すと雖(いえ)ども、而(しか)も知(し)る者(もの)鮮(すくな)し。
是(こ)れより以来(いらい)、俗儒(ぞくじゅ)の記誦詞章(きしょうししょう)の習(なら)い、其(そ)の功(こう)小学(しょうがく)に倍(ばい)して、而(しこ)うして用(よう)なし。異端(いたん)の虚無寂滅(きょむじゃくめつ)の教(おし)え、其(そ)の高(たか)きこと大学(だいがく)に過(す)ぎて、而(しこ)うして実(じつ)なし。其(そ)の他(た)権謀術数(けんぼうじゅつすう)、一切(いっさい)以(もつ)て功名(こうみょう)を就(な)すの説(せつ)と夫(そ)の百家衆技(ひゃっかしゅうぎ)の流(りゅう)、世(よ)を惑(まど)わし、民(たみ)を誣(し)い、仁義(じんぎ)を充塞(じゅうそく)する所以(ゆえん)の者(もの)、又(また)紛然(ふんぜん)として其(そ)の間(かん)に雑出(ざっしゅつ)し、其(そ)の君子(くんし)をして不幸(ふこう)にして大道(だいどう)の要(よう)を聞(き)くことを得(え)ざらしめ、其(そ)の小人(しょうじん)をして不幸(ふこう)にして至治(しち)の沢(たく)を蒙(こう)むることを得(え)ざらしむ。晦盲否塞(かいもうひそく)、反覆沈痼(はんぷくちんこ)して、以(もつ)て五季(ごき)の衰(おと)うるに及(およ)びて、壊乱(かいらん)極(きわ)まれり。
天運(てんうん)循環(じゅんかん)し、往(い)くとして復(かえ)らざるなく、宋徳(そうとく)隆盛(りゅうせい)にして、治教(ちきょう)休明(きゅうめい)なり。是(ここ)に於(お)いて河南(かなん)の程氏(ていし)の両夫子(りょうふし)出(い)でて、以(もつ)て孟氏(もうし)の伝(でん)に接(つ)ぐこと有(あ)り。実(じつ)に始(はじ)めて此(こ)の篇(へん)を尊信(そんしん)して、之(これ)を表章(ひょうしょう)す。既(すで)にして又(また)之(これ)が為(ため)に其(そ)の簡編(かんぺん)を次(つ)いで、其(そ)の帰趣(きしゅ)を発(はつ)して、然(しか)る後(のち)に古(いにしえ)の大学(だいがく)人(ひと)に教(おし)うるの法(ほう)、聖経(せいけい)賢伝(けんでん)の指(し)、粲然(さんぜん)として復(ま)た世(よ)に明(あき)らかなり。熹(き)の不敏(ふびん)を以(もつ)てすと雖(いえ)ども、亦(また)幸(さいわ)いに私淑(ししゅく)して聞(き)くこと有(あ)るに与(あずか)る。
願(ねが)うに其(そ)の書(しょ)と為(な)る、猶(なお)頗(すこぶ)る放失(ほうしつ)す。是(ここ)を以(もつ)て其(そ)の固陋(ころう)を忘(わす)れ、采(と)りて之(これ)を輯(あつ)め、間(ま)ま亦(また)竊(ひそか)に己(おのれ)の意(い)を附(ふ)して、其(そ)の闕略(けつりゃく)を補(おぎな)い、以(もつ)て後(のち)の君子(くんし)を俟(ま)つ。極(きわ)めて僣踰(せんゆ)にして罪(つみ)を逃(のが)るる所(ところ)無(な)きを知(し)る。然(しか)れども国家(こっか)民(たみ)を化(か)し、俗(ぞく)を成(な)すの意(い)、学者(がくしゃ)己(おのれ)を修(おさ)めて、人(ひと)を治(おさむ)るの方(ほう)に於(お)いて、則(すなわ)ち未(いま)だ必(かなら)ずしも小補(しょうほ)無(な)くんばあらずと云(い)う。
淳熈(じゅんき)己酉(きゆう)二月(にがつ)甲子(こうし)。新安(しんあん)の朱熹(しゅき)序(じょ)す。
子程子曰。大學。孔子之遺書。而初學入德之門也。於今可見古人爲學次第者。獨賴此篇之存而論孟次之學者必由是而學焉。則庶乎其不差矣。
子程子(していし)の曰(いわ)く、「大学(だいがく)は孔子(こうし)の遺書(いしょ)にして、初学(しょがく)徳(とく)に入(い)るの門(もん)なり。今(いま)に於(お)いて古人(こじん)学(がく)を為(な)すの次第(しだい)を見(み)るべき者(もの)は、独(ひと)り此(こ)の篇(へん)の存(そん)するに頼(よ)る。而(しこう)して論孟(ろんもう)之(これ)に次(つ)ぐ。学者(がくしゃ)必(かなら)ず是(これ)に由(よ)りて学(まな)ばば、則(すなわ)ち其(そ)の差(たが)わざるに庶(ちか)からん」と
大學之道。在明明德。在親民。在止於至善。
知止而后有定。定而后能靜。靜而后能安。安而后能慮。慮而后能得。
物有本末。事有終始。知所先後則近道矣。
古之欲明明德於天下者。先治其國。欲治其國者。先齊其家。欲齊其家者。先脩其身。欲脩其身者。先正其心。欲正其心者。先誠其意。欲誠其意。先致其知。致知在格物。
物格而后知至。知至而后意誠。意誠而后心正。心正而后身脩。身脩而后家齊。家齊而后國治。國治而后天下平。
自天子以至於庶人。壹是皆以脩身爲本。
其本亂而末治者否矣。其所厚者薄而其所薄者厚未之有也。
右經一章。蓋孔子之言。而曾子述之。其傳十章。則曾子之意。而門人記之也。舊本頗有錯簡。今因程子所定。而更考經文別爲序次如左。
大学(だいがく)の道(みち)は、明徳(めいとく)を明(あき)らかにするに在(あ)り。民(たみ)を親(あら)たにするに在(あ)り。至善(しぜん)に止(とど)まるに在(あ)り。
止(とど)まるを知(し)りて后(のち)に定(さだ)まること有(あ)り。定(さだ)まりて后(のち)に能(よく)く静(しず)かなり。静(しず)かにして后(のち)に能(よ)く安(やす)くし。安(やす)くして后(のち)に能(よ)く慮(おもんばか)る。慮(おもんばか)りて后(のち)に能(よ)く得(う)。
物(もの)に本末(ほんまつ)有(あ)り。事(こと)に終始(しゅうし)有(あ)り。先後(せんこう)する所(ところ)を知(し)れば、則(すなわ)ち道(みち)に近(ちか)し。
古(いにしえ)の明徳(めいとく)を明(あき)らかにせんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)ず其(そ)の国(くに)を治(おさ)む。其(そ)の国(くに)を治(おさ)めんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)ず其(そ)の家(いえ)を斉(ととの)う。其(そ)の家(いえ)を斉(ととの)えんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)ず其(そ)の身(み)を修(おさ)む。其(そ)の身(み)を修(おさ)めんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)ず其(そ)の心(こころ)を正(ただ)しくす。其(そ)の心(こころ)を正(ただ)しくせんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)ず其(そ)の意(い)を誠(まこと)にす。其(そ)の意(い)を誠(まこと)にせんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)ず其(そ)の知(ち)を致(いた)す。知(ち)を致(いた)すは、物(もの)に格(いた)るに在(あ)り。
物(もの)に格(いた)りて后(のち)に知(ち)至(いた)る。知(ち)至(いた)りて后(のち)に意(い)誠(まこと)なり。意(い)誠(まこと)にして后(のち)に心(こころ)正(ただ)し。心(こころ)正(ただ)しくして后(のち)に身(み)修(おさ)まる。身(み)修(おさ)まりて后(のち)に家(いえ)斉(ととの)う。家(いえ)斉(ととの)いて后(のち)に国(くに)治(おさ)まる。国(くに)治(おさ)まりて后(のち)に天下(てんか)平(たいら)かなり。
天子(てんし)自(よ)り以(もつ)て庶人(しょじん)に至(いた)るまで、壱是(いつし)に皆(みな)身(み)を修(おさ)むるを以(もつ)て本(もと)と為(な)す。
其(そ)の本(もと)乱(みだ)れて末(すえ)治(おさ)まる者(もの)は否(あら)ず。其(そ)の厚(あつ)くする所(ところ)の者(もの)は薄(うす)くして、其(そ)の薄(うす)くする所(ところ)の者(もの)は厚(あつ)きことは、未(いま)だ之(こ)れ有(あ)らざるなり。
右(みぎ)経一章(けいいつしょう)、蓋(けだ)し孔子(こうし)の言(げん)にして、曾子(そうし)之(これ)を述(の)ぶ。其(そ)の伝十章(でんじつしょう)、則(すなわ)ち曾子(そうし)の意(い)にして、門人(もんじん)之(これ)を記(しる)せるなり。旧本(きゅうほん)頗(すこぶ)る錯簡(さくかん)有(あ)り。今(いま)程子(ていし)の定(さだ)むる所(ところ)に因(よ)りて、更(さら)に経文(けいぶん)を考(かんが)え、別(べつ)に序次(じょじ)を為(な)すこと左(さ)の如(ごと)し。
康誥曰。克明德。
大甲曰。顧諟天之明命。
帝典曰。克明峻德。
皆自明也。
右傳之首章。釋明明德。
康誥(こうこう)に曰(いわ)く、「克(よ)く徳(とく)を明(あき)らかにす。」と
大甲(たいこう)に曰(いわ)く、「諟(こ)の天(てん)の明命(めいめい)を顧(かえり)みる。」と
帝典(ていてん)に曰(いわ)く、「克(よ)く峻徳(しゅんとく)を明(あき)らかにす。」と
皆(みな)自(みずか)ら明(あき)らかにするなり。
右(みぎ)伝(でん)の首章(しゅしょう)は、明徳(めいとく)を明(あき)らかにすることを釈(と)く。
湯之盤銘曰。苟日新。日日新。又日新。
康誥曰。作新民。
詩曰。周雖舊邦。其命維新。
是故君子無所不用其極。
右傳之二章。釋新民。
湯(とう)の盤(ばん)の銘(めい)に曰(いわ)く、「苟(まこと)に日(ひ)に新(あら)たなり。日日(ひび)に新(あら)たにして、又(また)日(ひ)に新(あら)たなり。」と。
康誥(こうこう)に曰(いわ)く、「新(あら)たにする民(たみ)を作(おこ)せ。」と。
詩(し)に曰(いわ)く、「周は旧邦(きゅうほう)なりと雖(いえど)も、其(その)命(めい)は維(こ)れ新(あら)たなり。」と。
是(この)故(ゆえ)に君子(くんし)は其(その)極(きょく)を用(もち)いざる所(ところ)なし。
右(みぎ)伝(でん)の二章(にしょう)は、民(たみ)を新(あら)たにすることを釈(と)く。
詩云。邦畿千里。惟民所止。
詩云。緡蠻黄鳥。止于丘隅。子曰。於止知其所止。可以人而不如鳥乎。
詩云。穆穆文王於緝熈敬止。爲人君止於仁。爲人臣止於敬。爲人子止於孝。爲人父止於慈。與國人交止於信。
詩云。瞻彼淇澳。菉竹猗猗。有斐君子。如切如磋如琢如磨。瑟兮僩兮。赫兮喧兮。有斐君子。終不可諠兮。如切如磋者道學也。如琢如磨者自脩也。瑟兮僩兮者恂慄也。赫兮喧兮者威儀也。有斐君子。終不可諠兮者。道盛德至善民之不能忘也。
詩云。於戲前王不忘。君子賢其賢。而親其親。小人樂其樂。而利其利。此以沒世不忘也。
右傳之三章。釋止於至善。
詩(し)に云(い)う、「邦畿千里(ほうきせんり)は惟(こ)れ民(たみ)の止(とど)まる所(ところ)」と。
詩(し)に云(い)う、「緡蠻(めんばん)たる黄鳥(こうちょう)は、丘隅(きゅうぐう)に止(とど)まる」と。子(し)曰(いわ)く、「止(とど)まるに於(お)いて其(そ)の止(とど)まる所(ところ)を知(し)る。人(ひと)を以(もつ)て鳥(とり)に如(し)かざる可(べ)けんや」と。
詩(し)に云(い)う、「穆穆(ぼくぼく)たる文王(ぶんおう)、於(ああ)、緝煕(しゅうき)にして敬(けい)して止(とど)まる」と。人(ひと)の君(きみ)と為(な)りては仁(じん)に止(とど)まり、人(ひと)の臣(しん)と為(な)りては敬(けい)に止(とど)まり、人(ひと)の子(こ)と為(な)りては孝(こう)に止(とど)まり、人(ひと)の父(ちち)と為(な)りては慈(じ)に止(とど)まり、国人(こくじん)と交(まじ)わりては信(しん)に止(とど)まる。
詩(し)に云(い)う、「彼(か)の淇澳(きいく)を瞻(み)れば、菉竹(りょくちく)猗猗(いい)たり。斐(ひ)たる君子(くんし)有(あ)り。切(せつ)するが如(ごと)く、磋(さ)するが如(ごと)く、琢(たく)するが如(ごと)く、磨(ま)するが如(ごと)し。瑟(しつ)たり僩(かん)たり。赫(かく)たり喧(けん)たり。斐(ひ)たる君子(くんし)有(あ)り、終(つい)に諠(わす)る可(べ)からず」と。切(せつ)するが如(ごと)く、磋(さ)するが如(ごと)しとは、学(がく)を道(い)うなり。琢(たく)するが如(ごと)く、磨(ま)するが如(ごと)しとは、自(みずか)ら修(おさ)むるなり。瑟(しつ)たり僩(かん)たりとは、恂慄(しゅんりつ)なり。赫(かく)たり喧(けん)たりとは、威儀(いぎ)あるなり。斐(ひ)たる君子(くんし)有(あ)り、終(つい)に諠(わす)る可(べ)からずとは、盛徳至善(せいとくしぜん)にして民(たみ)の忘(わす)るること能(あた)わざるを道(い)うなり。
詩(し)に云う、「於戯(ああ)、前王(ぜんおう)忘(わす)れず」と。君子(くんし)は其(そ)の賢(けん)を賢(けん)として、其(そ)の親(しん)を親(しん)として、小人(しょうじん)は其(そ)の楽(たの)しみを楽(たの)しみとして、其(そ)の利(り)を利(り)とす。此(ここ)を以(もつ)て世(よ)を没(ぼつ)するまで忘(わす)れざるなり。
右(みぎ)伝(でん)の三章(さんしょう)は、至善(しぜん)に止(とど)まることを釈(と)く。
子曰。聽訟吾猶人也。必也使無訟乎。無情者不得盡其辭大畏民志。此謂知本。
右傳之四章。釋本末。
子(し)曰(いわ)く、「訟(しょう)を聴(き)くことは吾(われ)猶(なお)人(ひと)のごとしなり。必(かなら)ずや訟(しょう)無(なか)からしめんか。」と。情(じょう)無(な)き者(もの)は其(その)の辞(じ)を尽(つ)くすことを得(え)ず。大(おお)いに民(たみ)の志(こころざし)を畏(おそ)れしむ。此(こ)れを本(もと)を知(し)ると謂(い)う。
右(みぎ)伝(でん)の四章(よんしょう)は、本末(ほんまつ)を釈(と)く。
此謂知本。
此謂知之至也。
右傳之五章。蓋釋格物致知之義而今亡矣。
間嘗竊取程子之意。以補之曰。所謂。致知在格物者。言欲致吾之知在卽物而窮其理也。蓋人心之靈。莫不有知。而天下之物。莫不有理。惟於理有未窮。故其知有不盡也。是以大學始教。必使學者卽凡天下之物莫不因其已知之理而益窮之以求至乎其極。至於用力之久而一旦豁然貫通焉。則衆物之表裏精粗。無不到。而吾心之全體大用無不明矣。此謂物格。此謂知之至也。
此(こ)れを本(もと)を知(し)ると謂(い)う。
此(こ)れを知(ち)の至(いた)ると謂(い)うなり。
右(みぎ)伝(でん)の五章(ごしょう)は、蓋(けだ)し格物致知(かくぶつちち)の義(ぎ)を釈(と)きしも、今(いま)は亡(ほろ)べり。
間(このご)ろ嘗(こころみ)に竊(ひそか)に程子(ていし)の意(い)を取(と)りて以(もつ)て之(これ)を補(おぎな)いて曰(いわ)く、所謂(いわゆる)、知(ち)を致(いた)すは、物(もの)に格(いた)る在(あ)りとは、吾(われ)の知(ち)を致(いた)さんと欲(ほつ)すれば、物(もの)に即(つ)きて其(そ)の理(り)を窮(きわ)むるに在(あ)りと言(い)うなり。蓋(けだ)し人心(じんしん)の霊(れい)、知(ち)有(あ)らざるこ莫(な)し。而(しこう)して天下(てんか)の物(もの)、理(り)有(あ)らざること莫(な)し。惟(た)だ理(り)に於(お)いて未(いま)だ窮(きわ)めざること有(あ)り。故(ゆえ)に其(そ)の知(ち)尽(つ)くさざること有(あ)り。是(ここ)を以(もつ)て大学(だいがく)の始(はじ)めの教(おし)えは、必(かなら)ず学者(がくしゃ)をして凡(およ)そ天下(てんか)の物(もの)に即(つ)きて、其(そ)の已(すで)に知(ち)の理(り)に因(よ)りて、益(ます)ます之(これ)を窮(きわ)めて以(もつ)て其(そ)の極(きょく)に至(いた)ることを求(もと)めざること莫(な)からしむ。力(ちから)を用(もち)いることの久(ひさ)しくして一旦豁然(いつたんかつぜん)として貫通(かんつう)するに至(いた)りては、則(すな)ち衆物(しゅうぶつ)の表裏精粗(ひょうりせいそ)、到(いた)らざること無(な)し。而(しこう)して吾(わ)が心(こころ)の全体大用(ぜんたいたいよう)明(あき)らかならずということ無(な)し。此(こ)れを物(もの)格(いた)ると謂(い)い、此(こ)れを知(ち)の至(いた)ると謂(い)うなり。
所謂。誠其意者。毋自欺也。如惡惡臭如好好色。此之謂自謙。故君子必愼其獨也。
小人閒居爲不善。無所不至。見君子而后厭然揜其不善。而著其善。人之視己如見其肺肝。然則何益矣。此謂誠於中形於外。故君子必愼其獨也。
曾子曰。十目所視。十手所指。其嚴乎。
富潤屋。德潤身。心廣體胖。故君子必誠其意。
右傳之六章。釋誠意。
所謂(いわゆる)、其(そ)の意(い)を誠(まこと)にすとは、自(みずか)ら欺(あざむ)くこと毋(なか)れ。悪臭(あくしゅう)を悪(にく)むが如(ごと)く、好色(こうしょく)を好(この)むが如(ごと)し。此(こ)れ之(これ)を自(みずか)ら謙(こころよ)しと謂(い)う。故(ゆえ)に君子(くんし)は必(かなら)ずその独(ひと)りを慎(つつし)むなり。
小人(しょうじん)間居(かんきょ)して不善(ふぜん)を為(な)すこと、至(いた)らざる所(ところ)無(な)し。君子(くんし)を見(み)て而(しか)る后(のち)に厭然(えんぜん)として其(そ)の不善(ふぜん)を揜(おお)いて、其(そ)の善(ぜん)を著(あらわ)せども、人(ひと)の己(おのれ)を視(み)ることは其(そ)の肺肝(はいかん)を見(み)るが如(ごと)し。然(しか)らば則(すなわ)ち何(なん)の益(えき)かあらん。此(こ)れを中(うち)に誠(まこと)あれば外(そと)に形(あらわ)ると謂(い)う。故(ゆえ)に君子(くんし)は必(かなら)ず其(そ)の独(ひと)りを慎(つつし)むなり。
曽子(そうし)の曰(いわ)く、「十目(じゅうもく)の視(み)る所(ところ)、十手(じゅっしゅ)の指(さ)す所(ところ)、其(そ)れ厳(げん)なるかな」と。
富(とみ)は屋(おく)を潤(うるお)し、徳(とく)は身(み)を潤(うるお)す。心(こころ)広(ひろ)くして体(たい)胖(ゆた)かなり。故(ゆえ)に君子(くんし)は必(かなら)ず其(そ)の意(い)を誠(まこと)にす。
右(みぎ)伝(でん)の六章(ろくしょう)は、意(い)を誠(まこと)にすることを釈(と)く。
所謂。脩身在正其心者。身有所忿?。則不得其正。有所恐懼。則不得其正。有所好樂。則不得其正。有所憂患。則不得其正。
心不在焉。視而不見。聽而不聞。食而不知其味。
此謂脩身在正其心。
右傳之七章。釋正心脩身。
所謂(いわゆる)、身(み)を修(おさ)むるは其(そ)の心(こころ)を正(ただ)しくするに在(あ)りとは、身(み)忿?(ふんち)する所(ところ)有(あ)るときは、則(すなわ)ち其(そ)の正(ただ)しきを得(え)ず。恐懼(きょうく)する所(ところ)有(あ)るときは、則(すなわ)ち其(そ)の正(ただ)しきを得(え)ず。好楽(こうごう)する所(ところ)有(あ)るときは、則(すなわ)ち其(そ)の正(ただ)しきを得(え)ず。憂患(ゆうかん)する所(ところ)有(あ)るときは、則(すなわ)ち其(そ)の正(ただ)しきを得(え)ず。
心(こころ)焉(ここ)に在(あ)らざれば、視(み)れども見(み)えず。聴(き)けども聞(き)こえず。食(く)えども其(そ)の味(あじ)わいを知(し)らず。
此(こ)れを身(み)を修(おさ)むるは其(そ)の心(こころ)を正(ただ)しくするに在(あ)りと謂(い)うなり。
右(みぎ)伝(でん)の七章(ななしょう)は、心(こころ)を正(ただ)しくし、身(み)を修(おさ)むることを釈(と)く。
所謂。齊其家在脩其身者。人之其所親愛而辟焉。之其所賤惡而辟焉。之其所畏敬而辟焉。之其所哀矜而辟焉。其所敖惰而辟焉。故好而知其惡。惡而知其美者天下鮮矣。
故諺有之。曰。人莫知其子之惡。莫知其苗之碩。
此謂身不脩不可以齊其家。
右傳之八章。釋脩身齊家。
所謂(いわゆる)、其(そ)の家(いえ)を斉(ととの)うるは其(そ)の身(み)を修(おさ)むるに在(あ)りとは、人(ひと)其(そ)の親愛(しんあい)する所(ところ)に之(ゆい)て辟(へき)す。其(そ)の賤悪(せんお)する所(ところ)に之(ゆい)て辟(へき)す。其(そ)の畏敬(いけい)する所(ところ)に之(ゆい)て辟(へき)す。其(そ)の哀矜(あいぎょう)する所(ところ)に之(ゆい)て辟(へき)す。其(そ)の敖惰(ごうだ)する所(ところ)に之(ゆい)て辟(へき)す。故(ゆえ)に好(この)みて其(そ)の悪(あ)しきを知(し)り、悪(にく)みて其(そ)の美(うつく)しきを知(し)る者(もの)は、天下(てんか)に鮮(すく)なし。
故(ゆえ)に諺(ことわざ)に之(こ)れ有(あ)り。曰(いわ)く、「人(ひと)其(そ)の子(こ)の悪(あ)しきを知(し)るものなく、其(そ)の苗(なえ)の碩(おおい)なるを知(し)るものなし」と。
此(こ)れを身(み)修(おさ)まらずば以(もつ)て其(そ)の家(いえ)を斉(ととの)う可(べ)からずと謂(い)うなり。
右(みぎ)伝(でん)の八章(はちしょう)は、身(み)を修(おさ)め家(いえ)を斉(ととの)うることを釈(と)く。
所謂。治國。必先齊其家者。其家不可教而能教人者無之。故君子不出家。而成教於國。孝者所以事君也。弟者所以事長也。慈者所以使衆也。
康誥曰。如保赤子。心誠求之雖不中不遠矣。未有學養子而後嫁者也。
一家仁。一國興仁。一家讓。一國興讓。一人貪戻。一國作亂。其機如此。此謂一言?事。一人定國。
堯舜帥天下以仁。而民從之。桀紂帥天下以暴。而民從之。其所令反其所好而民不從。是故君子有諸己。而后求諸人。無諸己。而后非諸人。所藏乎身不恕。而能喩諸人者。未之有也。
故治國。在齊其家。
詩云。「桃之夭夭。其葉蓁蓁。之子于歸。宜其家人。」宜其家人。而後可以教國人。
詩云。「宜兄宜弟。」宜兄宜弟。而後可以教國人。
詩云。「其儀不忒。正是四國。」其爲父子兄弟足法。而后民法之也。
此謂治國在齊其家。
右傳之九章。釋齊家治國。
所謂(いわゆる)、国(くに)を治(おさ)むるは必(かなら)ず先(ま)ず其(そ)の家(いえ)を斉(ととの)うとは、其(そ)の家(いえ)、教(おし)う可(べ)からずして能(よ)く人(ひと)を教(おし)うる者(もの)は之(こ)れ無(な)し。故(ゆえ)に君子(くんし)は家(いえ)を出(い)でずして教(おし)えを国(くに)に成(な)す。孝(こう)は君(きみ)に事(つか)うる所以(ゆえん)なり。弟(てい)は長(ちょう)に事(つか)うる所以(ゆえん)なり。慈(じ)は衆(しゅう)を使(つか)う所以(ゆえん)なり。
康誥(こうこう)に曰(いわ)く、「赤子(せきし)を保(やすん)ずるが如(ごと)し」と。心(こころ)誠(まこと)に之(これ)を求(もと)めば、中(あた)らずと雖(いえど)も遠(とお)からず。未(いま)だ子(こ)を養(やしな)うことを学(まな)びて後(のち)に嫁(とつ)ぐ者(もの)は有(あ)らざるなり。
一家(いつか)仁(じん)なるときは一国(いつこく)仁(じん)に興(おこ)り、一家(いつか)譲(じょう)なるときは一国(いつこく)譲(じょう)に興(おこ)り、一人(いちにん)貪戻(たんれい)なるときは一国(いつこく)乱(らん)を作(な)す。其(そ)の機(き)此(かく)の如(ごと)し。此(これ)を一言(いちげん)事(こと)を?(やぶ)り、一人(いちにん)国(くに)を定(さだ)むと謂(い)う。
堯舜(ぎょうしゅん)天下(てんか)を帥(ひき)いるに仁(じん)を以(もつ)てして、民(たみ)之(これ)に従(したが)う。桀紂(けつちゅう)天下(てんか)を帥(ひき)いるに暴(ぼう)を以(もつ)てして、民(たみ)之(これ)に従(したが)う。其(そ)の令(れい)する所(ところ)其(そ)の好(この)む所(ところ)に反(はん)して民(たみ)従(したが)わず。是(こ)の故(ゆえ)に君子(くんし)は諸(これ)を己(おのれ)に有(ゆう)して而(しか)る后(のち)に諸(これ)を人(ひと)に求(もと)む。諸(これ)を己(おのれ)に無(な)くして而(しか)る后(のち)に諸(これ)を人(ひと)に非(そし)る。身(み)に蔵(ぞう)する所(ところ)恕(じょ)ならずして能(よ)く諸(これ)を人(ひと)に喩(さと)す者(もの)は、未(いま)だ之(こ)れ有(あ)らざるなり。
故(ゆえ)に国(くに)を治(おさ)むるは其(そ)の家(いえ)を斉(ととの)うるに在(あ)り。
詩(し)に云(い)う、「桃(もも)の夭夭(ようよう)たる、其(そ)の葉(は)蓁蓁(しんしん)たり。之(こ)の子(こ)于(ここ)に帰(とつ)がば、其(そ)の家人(かじん)に宜(よろ)しからん。」と。其(そ)の家人(かじん)に宜(よろ)しくして而(しか)る後(のち)に以(もつ)て国人(こくじん)を教(おし)うべし。
詩(し)に云(い)う、「兄(けい)に宜(よろ)しく弟(てい)に宜(よろ)し。」と。兄(けい)に宜(よろ)しく弟(てい)に宜(よろ)しくして而(しか)る後(のち)に以(もつ)て国人(こくじん)を教(おし)うべし。
詩(し)に云(い)う、「其(そ)の儀(ぎ)忒(たが)わず、是(こ)の四国(しこく)を正(ただ)しくす。」と。其(そ)の父子兄弟(ふしけいてい)為(な)ること法(のり)とるに足(た)りて而(しか)る后(のち)に民(たみ)之(これ)に法(のり)とるなり。
此(これ)を国(くに)を治(おさ)むることは其(そ)の家(いえ)を斉(ととの)うるに在(あ)りと謂(い)うなり
右(みぎ)伝(でん)の九章(きゅうしょう)、家(いえ)を斉(ととの)え国(くに)を治(おさ)むることを釈(と)く。
所謂。平天下在治其國者。上老老而民興孝。上長長而民興弟。上恤孤而民不倍。是以君子。有絜矩之道也。
所惡於上。毋以使下。所惡於下。毋以事上。所惡於前。毋以先後。所惡於後毋以從前。所惡於右毋以交於左。所惡於左毋以交於右。此之謂絜矩之道。
詩云。樂只君子。民之父母。民之所好好之。民之所惡惡之。此之謂民之父母。
詩云。節彼南山。維石嚴嚴。赫赫師尹。民具爾瞻。有國者不可以不愼。辟則爲天下僇矣。
詩云。殷之未喪師。克配上帝。儀監于殷。峻命不易。道得衆則得國。失衆則失國。
是故君子。先愼乎德。有德此有人。有人此有土。有土此有財。有財此有用。
德者本也。財者末也。外本内末爭民施奪。
是故財聚則民散。財散則民聚。
是故言悖而出者。亦悖而入。貨悖而入者。亦悖而出。
康誥曰。惟命不于常。道善則得之。不善則失之矣。
楚書曰。楚國無以爲寶。惟善以爲寶。
舅犯曰。亡人無以爲寶。仁親以爲寶。
秦誓曰。若有一个臣。斷斷兮無他技。其心休休焉。其如有容焉。人之有技。若己有之。人之彥聖。其心好之不啻若自其口出。寔能容之以能保我子孫黎民。尚亦有利哉。人之有技媢疾以惡之。人之彥聖而違之俾不通。寔不能容。以不能保我子孫黎民亦曰殆哉。
唯仁人放流之。迸諸四夷。不與同中國。此謂唯仁人爲能愛人。能惡人。
見賢而不能擧。擧而不能先命也。見不善而不能退。退而不能遠過也。
好人之所惡。惡人之所好。是謂拂人之性。菑必逮夫身。
是故君子有大道。必忠信以得之。驕泰以失之。
生財有大道。生之者衆。食之者寡。爲之者疾。用之者舒。則財恒足矣。
仁者以財發身。不仁者以身發財。
未有上好仁而下不好義者也。未有好義其事不終者也。未有府庫財非其財者也。
孟獻子曰。畜馬乘不察於鷄豚。伐氷之家不畜牛羊。百乘之家不畜聚斂之臣。與其有聚斂之臣。寧有盗臣。此謂國不以利爲利。以義爲利也。
長國家而務財用者。必自小人矣。彼爲善之。小人之使爲國家。菑害竝至。雖有善者。亦無如之何矣。此謂國不以利爲利以義爲利也。
右傳之十章。釋治國平天下。
凡傳十章。前四章。統論綱領指趣。後六章。細論條目工夫。其第五章。乃明善之要。第六章。乃誠身之本。在初學尤爲當務之急。讀者不可以其近而忽之也。
所謂(いわゆる)、天下(てんか)を平(たい)らかにするは其(そ)の国(くに)を治(おさ)むるに在(あ)りとは、上(かみ)老(ろう)を老(ろう)として民(たみ)孝(こう)に興(おこ)り、上(かみ)長(ちょう)を長(ちょう)として民(たみ)弟(てい)に興(おこ)り、上(かみ)孤(こ)を恤(あわれ)んで民(たみ)倍(そむ)かず。是(ここ)を以(もつ)て君子(くんし)は、絜矩(けつか)の道(みち)有(あ)り。
上(かみ)に悪(にく)む所(ところ)は、以(もつ)て下(しも)に使(つか)うこと毋(なか)れ。下(しも)に悪(にく)む所(ところ)は、以(もつ)て上(かみ)に事(つか)うること毋(なか)れ。前(まえ)に悪(にく)む所(ところ)は、以(もつ)て後(あと)に先(さき)んずること毋(なか)れ。後(あと)に悪(にく)む所(ところ)は、以(もつ)て前(まえ)に従(したが)うこと毋(なか)れ。右(みぎ)に悪(にく)む所(ところ)は、以(もつ)て左(ひだり)に交(まじ)わること毋(なか)れ。左(ひだり)に悪(にく)む所(ところ)は、以(もつ)て右(みぎ)に交(まじ)わること毋(なか)れ。此(こ)れ之(こ)を絜矩(けっく)の道(みち)と謂(い)う。
詩(し)に云(い)う。「楽只(たの)しき君子(くんし)は、民(たみ)の父母(ふぼ)。」と。民(たみ)の好(この)む所(ところ)は之(これ)を好(この)み、民(たみ)の悪(にく)む所(ところ)は之(これ)を悪(にく)む。此(こ)れ之(これ)を民(たみ)の父母(ふぼ)と謂(い)う。
詩(し)に云(い)う。「節(せつ)たる彼(か)の南山(なんざん)、維(こ)れ石(いし)厳厳(がんがん)たり。赫赫(かくかく)たる師尹(しいん)、民(たみ)具(とも)に爾(なんじ)を瞻(み)る。」と。国(くに)を有(たも)つ者(もの)は、以(もつ)て慎(つつし)まざる可(べ)からず。辟(へき)するときは則(すなわ)ち天下(てんか)の僇(りく)と為(な)る。
詩(し)に云(い)う。「殷(いん)の未(いま)だ師(もろもろ)を喪(うし)わざるや、克(よ)く上帝(じょうてい)に配(はい)す。儀(よろ)しく殷(いん)に監(かんが)みるべし。峻命(しゅんめい)易(やす)からず。」と。衆(しゅう)を得(え)れば則(すなわ)ち国(くに)を得(え)、衆(しゅう)を失(うしな)えば則(すなわ)ち国(くに)を失(うしな)うを道(い)うなり。
是(こ)の故(ゆえ)に君子(くんし)は、先(ま)ず徳(とく)を慎(つつし)む。徳(とく)有(あ)るときは人(ひと)有(あ)り。人(ひと)有(あ)るときは此(ここ)に土(つち)有(あ)り。土(つち)有(あ)るときは此(ここ)財(ざい)有(あ)り。財(ざい)有(あ)るときは此(ここ)に用(よう)有(あ)り。
徳(とく)は本(もと)なり。財(ざい)は末(すえ)なり。本(もと)を外(そと)にして末(すえ)を内(うち)にするときは民(たみ)を争(あらそ)わしめて奪(うば)うことを施(ほどこ)す。
是(こ)の故(ゆえ)に財(ざい)聚(あつま)るときは則(すなわ)ち民(たみ)散(さん)じ。財(ざい)散(さん)ずるときは則(すなわ)ち民(たみ)聚(あつま)る。
是(こ)の故(ゆえ)に言(げん)悖(もと)りて出(い)づる者(もの)は、亦(また)悖(もと)りて入(い)り、貨(か)悖(もと)りて入(い)る者(もの)は亦(また)悖(もと)りて出(い)づ。
康誥(こうこう)に曰(いわ)く。「惟(こ)れ命(めい)は常(つね)に于(おい)てせず。」と。善(ぜん)なれば則(すなわ)ち之(これ)を得(え)、不善(ふぜん)なれば則(すなわ)ち之(これ)を失(うしな)うを道(い)うなり。
楚書(そしょ)に曰(いわ)く。「楚国(そこく)には以(もつ)て宝(たから)と為(な)るもの無(な)し。惟(た)だ善(ぜん)以(もつ)て宝(たから)と為(な)す。」と。
舅犯(きゅうはん)が曰(いわ)く。「亡人(ぼうじん)は以(もつ)て宝(たから)と為(な)るもの無(な)し。親(おや)を仁(いつくし)むは以(もつ)て宝(たから)と為(な)す。」と。
秦誓(しんせい)に曰(いわ)く。「若(も)し一个(いっか)の臣(しん)有(あ)らん、断断(だんだん)として他(た)の技(わざ)無(な)く、其(そ)の心(こころ)休休焉(きゅうきゅうえん)として、其(そ)れ容(い)るること有(あ)るが如(ごと)し。人(ひと)の技(わざ)有(あ)るは、己(おのれ)之(これ)を有(あ)るが若(ごと)く、人(ひと)の彦聖(げんせい)なるは、其(そ)の心(こころ)に之(これ)を好(この)みて啻(ただ)に其(そ)の口(くち)より出(いだ)すが若(ごと)きのみならず。寔(まこと)に能(よ)く之(これ)を容(い)れて以(もつ)て能(よ)く我(わ)が子孫黎民(しそんれいみん)を保(やすん)ず。尚(ねがわ)くは亦(また)利(り)有(あ)らんかな。人(ひと)の技(わざ)有(あ)るを媢疾(ぼうしつ)して以(もつ)て之(これ)を悪(にく)み、人(ひと)の彦聖(げんせい)なる而(しか)も之(これ)に違(たが)いて通(つう)ぜざら俾(し)む。寔(まこと)に容(い)るること能(あた)わず。以(もつ)て我(わ)が子孫黎民(しそんれいみん)を保(やすん)ずること能(あた)わず。亦(また)曰(いわ)く殆(あやう)いかな。」と。
唯(た)だ仁人(じんじん)は、之(これ)を放流(ほうりゅう)して、諸(これ)を四夷(しい)に迸(しりぞ)け、与(とも)に中国(ちゅうごく)を同(おな)じくせず。此(これ)を唯(た)だ仁人(じんじん)能(よ)く人(ひと)を愛(あい)し、能(よ)く人(ひと)を悪(にく)むことを為(な)すと謂(い)う。
賢(けん)を見(み)て挙(あ)ぐること能(あた)わず。挙(あ)げて先(さき)んずること能(あた)わざるは命(おこたり)なり。不善(ふぜん)を見(み)て退(しりぞ)くこと能(あた)わず。退(しりぞ)けて遠(とお)ざけること能(あた)わざるは過(あやまち)なり。
人(ひと)の悪(にく)む所(ところ)を好(この)み、人(ひと)の好(この)む所(ところ)を悪(にく)む。是(これ)を人(ひと)の性(せい)に払(もと)ると謂(い)う。菑(わざわい)必(かなら)ず夫(そ)の身(み)に逮(およ)ばん。
是(こ)の故(ゆえ)に君子(くんし)に大道(たいどう)有(あ)り。必(かなら)ず忠信(ちゅうしん)以(もつ)て之(これ)を得(え)、驕泰(きょうたい)以(もつ)て之(これ)を失(うしな)う。
財(ざい)を生(しょう)ずるに大道(たいどう)有(あ)り。之(これ)を生(しょう)ずる者(もの)は衆(おお)く、之(これ)を食(くら)う者(もの)は寡(すくな)く、之(これ)を為(な)る者(もの)は疾(と)く、之(これ)を用(もち)いる者(もの)は舒(ゆる)きときは、則(すなわ)ち財(ざい)恒(つね)に足(た)る。
仁者(じんしゃ)は財(ざい)を以(もつ)て身(み)を発(はつ)し、不仁者(ふじんしゃ)は身(み)を以(もつ)て財(ざい)を発(はつ)す。
未(いま)だ上(かみ)仁(じん)を好(この)めども而(しか)も下(しも)義(ぎ)を好(この)まざる者(もの)は有(あ)らざるなり。未(いま)だ義(ぎ)を好(この)めども其(そ)の事(こと)終(お)わらざる者(もの)は有(あ)らざるなり。未(いま)だ府庫(ふこ)の財(ざい)其(そ)の財(ざい)に非(あら)ざる者(もの)は有(あ)らざるなり。
孟獻子(もうけんし)曰(いわ)く。「馬乗(ばじょう)を畜(か)うものは鶏豚(けいとん)を察(さつ)せず。伐氷(ばっぴょう)の家(いえ)には牛羊(ぎゅうよう)を畜(か)わず。百乗(ひゃくじょう)の家(いえ)には聚斂(しゅうれん)の臣(しん)を畜(か)わず。其(そ)の聚斂(しゅうれん)の臣(しん)有(あ)らんよりは、寧(むし)ろ盗臣(とうしん)有(あ)り。」と。此(これ)を国(くに)は利(り)を以(もつ)て利(り)と為(な)さず、義(ぎ)を以(もつ)て利(り)と為(な)すと謂(い)うなり。
国家(こっか)に長(ちょう)として財用(ざいよう)を務(つと)むる者(もの)は、必(かなら)ず小人(しょうじん)による。(「彼爲善之」章句にこの句の上下に闕文誤字あらんと)。小人(しょうじん)をして国家(こっか)を為(おさ)めしむれば、菑害(さいがい)並(なら)び至(いた)る。善者(ぜんしゃ)有(あ)りと雖(いえど)も亦(また)之(これ)を如何(いかん)ともする無(な)し。此(これ)を国(くに)は利(り)を以(もつ)て利(り)と為(な)さず、義(ぎ)を以(もつ)て利(り)と為(な)すと謂(い)うなり。
右(みぎ)伝(でん)の十章(じつしょう)は、国(くに)を治(おさ)め天下(てんか)を平(たい)らかにすることを釈(と)く。
凡(すべ)て伝十章(でんじつしょう)にして、前(まえ)の四章(よんしょう)は、綱領(こうりょう)の指趣(ししゅ)を統論(とうろん)す。後(のち)の六章(ろくしょう)は、條目(じょうもく)の工夫(くふう)を細論(さいろん)す。其(そ)の第五章(だいごしょう)は、乃(すなわ)ち善(ぜん)を明(あき)らかにするの要(よう)。第六章(だいろくしょう)は、乃(すなわ)ち身(み)を誠(まこと)にするの本(もと)。初学(しょがく)に在(あ)りて尤(もつと)も当(まさ)に務(つとむ)べきの急(きゅう)為(な)り。読者(どくしゃ)其(そ)の近(ちか)きを以(もつ)て之(これ)を忽(ゆるがせ)にす可(べ)からざるなり。